未来派図画工作のすすめ/自由ノート
美しさの隠れ家
数学者は良い仕事を「美しい」と形容する。科学者、技術者、音楽家、建築家、デザイナー、作家、画家、そういった人々も、過去や現在に「美しい」という形容詞を使ってきた。皆が同じ単語を使うのは単なる偶然なんだろうか。
「ハッカーと画家」Paul Graham
最近、1歳半になる娘が「ちれー」(たぶんキレイ)とよく言うようになった。彼女は見るもの見るものにキレイというものだから、私もついキレイということを意識してモノを見るようになってしまった。
先日も、水たまりが光を反射して、壁に不思議な光の揺らめきを作り出していたのに感動して、思わずカメラで長時間撮影してしまったほど。
人それぞれ美しさの定義は違う。でもみんな美しさを知っている。そしてこの美しさは表面的なものばかりでなく、思想的なもの、概念的なものにも適用されるのが面白い。
たとえば、美しい景色や美しい花というのは、いわゆる表面的な美。でも美しい解決方法、美しい数式、美しい生き方というふうに、様々なレベルで、この美しいという言葉は使われる。
だから逆説的だけれども、「キレイに汚れる」ということもありうるわけです。この場合、結果的に表面は汚いけれど、その汚れる過程や構造に、人々は美しさを見いだすという事だろうか。
汚い色はない。全ての色は美しい。汚く見えるとしたら、配色が間違っている。そんなことを知人から聞かされてはっとした覚えがある。そう考えると美しさとは、表面や中身というよりも、組み合わせや順番、すなわち構造に隠されているのかもしれない。
僕らは美しいと感じるとき、その対象の構造を、無意識に見抜いているのだ。
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