未来派図画工作のすすめ/自由ノート
無人島に生きる十六人
須川 邦彦
海鳥の声を聞き、海の風を感じる序盤。順調な航海を、自然の猛威が襲う中盤。そして場面は厳しい無人島へ。彼は逃げ場のないその危機をいかにして乗り越えていくのか・・。 主人公が無人島に漂着する、というストーリーは小説や映画など様々なもので表現されてきた。
私は小学生の頃にロビンソン・クルーソーを読んでからというもの、この漂流記というものが好きで、最近になってまた一冊読んでみた。それは未知のものへの憧れなのかもしれない。ただしこれはソファに座って安全な場所から想像する未知への憧れであって、生死の恐怖というものをすっかり忘れてしまっている状態での憧れ。実際自分が漂流したら、などとちょっと考えては見るのだけど、何もない状態で生きるための術をどれだけ知っているか、電気のない状態での自分の貧弱さを痛感してしまうのだ。
一番おしまいに水夫長は、ていねいに、一つおじぎをしてからいった。「私は学問のほうは、何も知りません。しかし、いくどか命がけのあぶないめにあって、それをどうやら無事に通りぬけてきました。理屈は分かりませんが、実際のことなら、たいがいのことはやりぬきます。無人島に生きる十六人
実際のことは分からずに理屈だけを知っている我々は、この老人からすれば貧弱そのものだ。もしくは「生きていない」ということになるかもしれない。経験からくる知識というものが、今の時代にはあまりにも少ない。 最近の子供の30%は夕日や朝日を見たことがないなんて。
せめて自分の子供には色々な経験をさせたい。バスタブを揺らす小さな波に揺られながら、そんなことを考えるのでした。 「無人島に生きる十六人」 海のベテラン達が無人島に漂流。 実直な人たちが繰り広げる気持ちの良い漂流記です。