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未来派図画工作のすすめ/自由ノート

最後と最後の間に

「旬を感じることが最高の贅沢」という一文を読んでから、旬とは何だろう、旬を感じるという事はどういう事なんだろう。とずっと考えている。今しか味わえないものを楽しむ事であろう事は分かる。でも、日常の中でそれを感じる事は出来るだろうか。ましてや体調を崩したり、悩みを抱えている時に、そんな余裕などあるだろうか。

先日、禅僧であり日本庭園のデザインをされている枡野俊明さんと対談する機会に恵まれた。文頭の言葉は枡野さんの言葉である。私は事前の打ち合わせで、旬について尋ねた。彼はテーブルの上にあったペットボトルを持って「全ての瞬間がかけがえの無い事と知る事です。これを単に水の入ったペットボトルと思うか、そうでないかは自分次第ですよね」と笑った。

ペットボトルをデザインしたのは誰だろう。どうしてこんな形をしているんだろう。水はどこから来たのか。どんな味がするんだろう。そういった事に思いを馳せれば、テーブルの上のペットボトルは、映画のエンディングのようなものになる。いや、飲んだ水は体の中でどう吸収されるのか。ペットボトルはリサイクルされて、どんなものに転化するのか。そこまで想像力を働かせれば、テーブルの上は、長大な物語の一章になるのだ。

私にはまだそんな心の大きさも、ゆとりも無いようで、先日、歯の痛みに耐えている時は「早くこの痛みよ消えてくれ!」とただただ願う事しか出来なかった。楽しむなんて無理。でも、いまだにしつこく旬、旬、と考えていて、これが旬なのかな?とふと気付くような瞬間が、少しずつ増えてきた。

ここにはもう来れないかもしれないな。この人にはもう会えないかもしれないな。そう考えると胸がほんのすこしチクリとして、がらっと景色が一変する事がある。すべてが最後の出来事。日々、最後と最後がつながっている。もしかするとそうした最後と最後の隙間に旬があるのかもしれないな。

Photo by freestocks on Unsplash

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