未来派図画工作のすすめ/自由ノート
東へ向かう
アフリカで生まれたという人類は、そこから全世界へと広がっていく。中には東へ東へと移動したものたちがいた。彼らは現在のアジアを経て、ついにはアメリカ大陸まで到達する。中には太平洋を横断した強者もいたようだ。
航海技術が未発達だった時代に、それは本当に命がけの冒険だったに違いない。しかもそれは海流や風向きに逆らわなければならない本当に無謀な旅だったらしい。彼らを導いたのは何だろう。新しい食料だろうか。安息の地だろうか。それだけではないような気がする。
ここ数年、元旦に初日の出を見るのが習慣となっている。毎日太陽は昇っているというのに、1月1日の太陽はどこか神聖に見えてしまうのが不思議だ。その初日の出を見るのは近所の高台にあるカフェ。そこが元旦に、初日の出営業をしていて、毎年楽しみにしているという訳である。しかし今年は震災の影響で営業を再開できなかったようで、本当に残念なのであった。
さて、日の出が近づくと、まず空がゆっくりと明るくなる。そして海の向こうから、予想よりも速い速度で太陽が姿を現す。太陽が全身を見せていない時間は一瞬だろうか。ほんの数分のそのひとときは、地球の回転速度を感じる不思議な時間でもある。
やがて、太陽が顔を出すと、その姿を見にきた人々の顔にはやわらかな安堵が広がる。吐く息は太陽に照らされて、よりいっそう白く。風に流れる白い息。例年より寒くないからだろうか、どことなく今年は柔らかい日差しに思えた。
太平洋を東へと渡った冒険者達は、太陽が生まれる場所を突き止めようとしていたのではないだろうか。すべての生命の原動力となる、光や熱を生み出す太陽が、毎朝新しく生まれる場所。そう考えると、彼らが行き着いた先の南米で、太陽信仰が盛んだったのも偶然ではないのだろう。
初日の出を見ながら、そんなことを妄想していた。そして、自分にとってこれから進みたいと思っている先はどこなのか?という想いが頭をよぎる。無謀であったとしても歩んでいきたいと思える方向。没頭できる道。そんな先を持たねばならない。どうしたのことか、朝日の太陽の眩しさは、見るものに自問自答を促すらしい。
Photo by Sebastien Gabriel on Unsplash
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