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未来派図画工作のすすめ/自由ノート

えたいのしれないもの

「子供達といつも本気で遊んでいる、それが本当に楽しくてしょうがない」

知人がしみじみした顔でこんなことを言った。それを聞いていた僕と友人は、ちょっと後ろめたさを感じて苦笑いをする。子供達と遊ぶのは楽しいのだけれど、遊んでいる時も仕事が頭から離れないのだ。だから本気で遊べる事もあるけれど、考え事をしながら子供につきあう。という状況も多々あるのである。

さて、そんな事を聞いてしまったものだから、その週の週末は仕事の事を忘れて、子供達と本気で遊んでみた。アスレチックをしたり、茂みのなかを歩いたり、自転車の練習などもした。やはり子供達の「初めて」に立ち会える事は本当に素敵な事だなと思う。それが自分にとって「初めて」だったら尚のこと素晴らしい。声を潜めて鳥を探しているとき、いつもはうるさい息子も、自然に息をひそめる。大きな世界のなかにいる事を無意識に感じるかのように。

ぼくらは古びた橋を渡って、ため池の向こう側へ渡った。そこにはうっそうと草が生えていて、大きめのカニが石と草の根の隙間に隠れていた。
次の瞬間、近くの用水路が大きく波を打つ。波の雰囲気からして、結構大きめの魚が泳いで逃げ出したようだ。水が濁っていて見えなかったが、たぶんナマズかなにかだろう。夕暮れの時の静かな田んぼに囲まれて、子供達は目を輝かせながらびくびくしていた。私も、子供達の気持ちに同調するように、ちょっとだけドキドキしてきたのであった。

「あれ、なにかな?」帰り際、子供達はあの用水路の主について、いろいろな想像力を働かせていた。私も調子に乗ってその議論に加わり、しまいにはカッパか、妖怪じゃないのかという話にまで展開した。もしあのとき、魚が姿を現していたら僕らはその話題で盛り上がる事はなかっただろう。
なにか得体の知れないものが、想像力をぐんぐん拡大させる。そこには検索して出てくる答えはない。分類されたものを偉そうに上から眺めるのではなく、分類される前の世界にその一部として入っていく感覚。もしかしたら「遊ぶ」という事は本来そういう事なのかもしれない。

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