Random Pickup

未来派図画工作のすすめ/自由ノート

全てを見ている

私たちは無意識に、必要な情報だけを選択してインプットしている。膨大な情報の中から、重要な事だけに焦点を当てて、効率よく処理している。写真はその無視した情報も全て記録する。だから実際に見た印象と違う。本物よりも多くを物語るかもしれないし、逆に本物には到底かなわない事もある。

写真のプロたちはその焦点を強調して、私たちに新しい視点を見せてくれているのではないか。 そして、写真を見て驚くのは、これほど膨大な情報を一気に見ているという事実である。たとえばビルの屋上から街を眺めてみる。一体どれだけの情報が見えているのか。写真を撮ってみればわかる。小さな人影、無数の看板、ビルの窓越しに見えるオフィス・・・。

これを正確に文章で説明しようとしたら、それはもう膨大。 同じ事は自然の中でも言える。たとえば森の中の風景。幾重にも重なる落ち葉、無数の枝、小鳥たち、揺れる木漏れ日・・・。夜空はどうだろう。大きく見える月、輝く金星、何万光年も離れた数えきれないほどの星たち。

想像もできないほど巨大な空間。そして空間の中に無限に存在する情報。 脳は無視しているのかもしれない。でもその無限の情報を私たちは一気に視覚で捉えている。無限に広がる世界の情報が、光としてあなたの目に一斉に飛び込んでいる。

梶井照陰写真集NAMI

佐渡島の波を撮り続ける真言宗の僧侶。彼の作品に映っているのは私の知っている波ではなく、無限の表情を持った波。写真だからこそできる表現に圧倒されます。

たべるつくる
どうしてスーパーにはまっすぐなキュウリしか売ってないの?」そんな疑問が私たちの活動の出発点でした。おいしくて安心して食べられるものなら、カタチなんか気にしないのに・・・。 「たべるつくる」より

かつて作る人と使う人はとても近いところにいた。小さな村の中で、作る人は使う人の事をちゃんと考えたし、使う人は作る人の事ちゃんと考えていた。でも今は遥か彼方。多くの壁が作られ、お互いが誰なのか、どこにいるのかも分からない。誰かがコントロールしやすいように壁を作って、消費の英才教育をして、消費のエリートを作り出す。あとはどんどん作ればいいのだ。

21世紀。コントロールしやすいように一カ所に集められた市民は、 インターネットを使って新しい村を作る。それは、空間を超えた、新しい部族化。作る人と使う人。先生と生徒。患者と医者。教祖と信者。政治家と市民。歌う人と聞く人。

Photo by Joshua Lanzarini on Unsplash

いままで、たべる人は「食べる」ばかりだった。つくる人は「作る」ばかりだった。ほんとうは、気持ちはおんなじなのに、あんまりお互いのこと、知らなかった。「たべるつくる」より
テート・モダン

街の中心部にとり残された、廃墟と化した火力発電所とそのまわりのゴーストタウン。この問題を解決するために、ロンドンが選んだ解決法は、「現代美術」であった。

2000年。テートモダンはロンドンの中心地にオープンした。

火力発電所を改築し、世界でも最高水準の現代美術展示を行う、巨大な美術館に生まれ変わったのだ。観光客でにぎわうセントポール大聖堂と火力発電所は一本の川で隔てられている。距離は近いものの、それまでその廃れた工業地域には誰も近づこうとしなかった。しかし、この美術館がオープンし、歩行者専用の小さな橋が一本架けられて、街は一変する。

イギリス中から、世界中から、人々が集まる。 破壊して再開発する事を選ばず、改築という方法を選んだ事。年代別の展示をやめて、テーマごとの展示をしている事。ほとんどが普段はあまり見る機会のない現代美術の展示である事。入場料が無料である事。

成功の要因は、新しい発想。 そしてもっとも素晴らしいのは、日本のように郊外に引き離すのでなく、人の集まるところに大規模な美術館を作ったこと。アートを生活の一部として、普通に展示している事。

 

Photo by Matthew Waring on Unsplash

詩人とボサノバ
棒きれ 石ころ 道はずれ
とり残された切り株 ちょっとした孤独
足跡 橋 ヒキガエル アマガエル
美しい地平線 三日熱
夏の終わりを告げる三月の雨
人生の誓いを 心の中で「三月の雨」アントニオ・カルロス・ジョビン

情景を単語の連なりだけで表した、美しい作品。ボサノバの歌詞は、詩人も多く関わっていることから、詩的で芸術的なものが多い。 ボサノバ。ポルトガル語で「新しい傾向」1950年代ブラジルの若者が作り出した音楽の新しい流れ。古い音楽を変えようと若者が革命を起こしたのだ。

表現こそ激しくはないものの、歌詞には新鮮で強い力が込められている。それはゼロから何かか生まれる時に爆発するエネルギー。二番煎じからは感じられない独創的な躍動感が秘められている。しかもそれはシャウトではなく、ささやきの中に隠されているのだ。 前例のない表現。前例のない手法。それはたやすいことではない。もしかしたら見つけられないかもしれない。しかし、今の自分に出来ること、今の時代に出来ること、それをとにかく考えていけば近づける気がする。

自分にとっての新しい傾向、時代にとっての新しい傾向へ。

なぜデカルトは虹を研究したと思う? 虹を美しいと思ったからだよファインマンさん最後の授業/レナード・ムロディナウ

人工物に囲まれて生きると、自然はいつの間にか「背景」になってしまう。空や山や海は、日常生活の遠くにぼんやり見える、音のない背景。それは決して触れる事の出来ない遠い存在。 でも本当は違う。自然は背景ではなく「舞台」なのである。

全盲の人が一度見てみたいと思うのは、風にそよぐ木だという。風にざわめく葉。揺れる枝。音だけでは想像できない美しさ。普段はすっかり忘れてしまった美しさ。 ちょっと興味を持つだけで、自然は背景から舞台へと変わる。そして舞台と感じられれば、全ての人は共演者になるはずなのだ。

簡単なきっかけは美しいと思う事。不思議だと思う事。色もその一つなのかもしれない。 などど、良い天気にぼんやり。

 

拝啓、スティーブ・ウォズニアック様

Apple社創設メンバーの一人、スティーブ・ウォズニアック氏よりメールをいただいた。なんとホテルマグリットとフルカラーボッサをシェアウェア登録していただいたのである。

Technology should improve the enjoyment of life for humans.「技術は人間の生活の楽しみを向上させるものでなければならない」スティーブ・ウォズニアックからのメール

驚きと興奮のまま開いたメールにはこう書いてあった。忘れかけていた理念。心が熱くなる。そう、私の究極の目標は、生きる喜びを感じる何かを作る事。そしてその喜びを大きくする事。長大なスペクタクルでも小さな微笑みでもかまわない。もしかしたらスクリーンセーバでもいいのかもしれない。とにかく「enjoyment of life」を。

思えば私が何かを作るとき、かならず近くにAppleのコンピュータがある。HyperCardにときめいたあの日から、私は創造性を高めるためにMacintoshを利用してきた。スティーブ・ウォズニアック氏らが作った環境のおかげで、私はある意味「生きる喜び」を感じる事が出来ているかもしれない。

新しい価値観は、合理化や効率化からは決して生まれない。安易に併合しても生まれない。挑戦を続けて、作り手と使い手に人生の喜びを。 拝啓、スティーブ・ウォズニアック様。 素晴らしい言葉をありがとう。

Photo by Museums Victoria on Unsplash

総天然色プライベートビーチ

世界は数えきれないほどの色であふれている。偶然地球に降り注いでいる太陽の光は、全てのものではねかえり、色となって私たちの目に飛び込んでくる。その奇跡的な出来事を何とか心にとめようと、人類はその出来事に名前を付けてきた。それが色の名前ではなかろうか。

利休茶、琥珀色、勿忘草色、群青色、猩々緋。 ムーンライト、スプリンググリーン、フォーゲットミーノット・・・。

時にその名前は象徴的で文学的。 感性の記録ともいえる色。その世界中の感性を集めるべく、色のプライベートビーチをつくりはじめました。デスクトップに輝く無数の色たち。 外国語に混じって、たまに日本語の色が現れると、なぜかドキドキします。

そしてこれを海外の人が見るのかと思うと、さらにドキドキするのです。 ホームページも何とか4カ国語対応。日本の色、世界の人はどう思うんだろう?「フルカラーボッサver1.0」公開開始です。

究極の検索
究極の目標は、図書館スタッフ並みの能力をそなえたシステム。質問の意味を理解して検索できる技術の開発だグーグル技術ディレクター クレイグ・シスターバイン

インターネットは情報収集の方法を革命的に変えた。

今、私たちはインターネットにつながってさえいれば瞬間的に情報を手に入れる事が出来る。これまで情報というのは、口述文化をのぞけばほとんどが紙などのメディアに記されたものであった。だから何かを調べるという事は、その情報の場所まで出向かなければならなかった。遠くはなれた場所にしかない書物を読むためには、そこまで行くか、なんとかして手に入れなければ読む事は出来なかったのである。

しかし情報は物質から離脱した。調べる事から時間は排除されてしまったのである。グーグルをはじめとする検索エンジンはこれまで人類が体験した事のない領域へ向かっている。書物や個人情報を含めた全世界のあらゆる情報を、検索の対象にしようとしているのだ。Amazonは12万冊の書籍の本文を検索できる機能を開発し、グーグルは有人関係のネットワークを広げる「オルクト」や、人工知能を持った検索エンジンを開発するという。

世界中の書物から検索できるようになったとき。たとえば「幸福」というキーワードで、キリスト教、イスラム教、仏教、その他世界中のありとあらゆる宗教の教典を検索してみたらどうなるだろう。ちょっとセンチメンタルな予想だけど、たぶんどの教典にも同じような事が書かれているのではないか?って思うのです。

それで、なんだ結局どれも一緒じゃないかって皆が思ったら、それこそ世界にとって幸福な事なのではないだろうか?

 

さよならだけが人生か?

この季節、駅で別れのシーンをよく見かけます。誰しもいつの日か、全ての人と分かれる時が来る。そんな事は何となく分かってはいても、そんな事考えたらとてもむなしい。でもそのむなしさの中に、儚さと美しさが存在している。 夕日の美しさは、その鮮やかな色彩よりも、一瞬で姿を消してしまうところにあると思うのです。

造花が生花より美しくないのは、永遠に咲き続けるから。目のくらむような一瞬の美しさに私たちは心をうばわれるのです。 「さよならだけが人生ならば」とつづく寺山修司の詩をふと思い出す。なぜだろう。思い出すのは、不思議と別れた人の事ばかり。 でもサヨナラの前にこんにちは。そう、出会いがあるはず。出会い続けるはず。

なにかを作るという事、デザインするということは、そんな出会いを作ることなんだと思う。

一瞬と一瞬を導いて奇跡的な出会いを。なるべくその出会いが普遍になるように。いつかサヨナラになるとしても。 車窓から見える駅の別れのシーン。どんな出会いを作ることができるのか、そして自分はこれからどんな出会いをするのか、車窓にぼんやりと現れては消えるのでした。

 

ワクワクするソフトウェア

MacPeopleのPeople Watchingというコーナーでて紹介していただきました。ここ数年のコンピューター業界の流れとなぞらえてあって、想像していなかった切り口。大変興味深いものでした。

インターネットブームが訪れると、パソコンはウェブブラウズとメールの道具となり、ソフト業界の活気も冷めていくことになる。林信行

たしかに最近ドキドキするようなソフトに出会っていない。技術的に素晴らしいソフトは沢山ある。仕事で使用しているソフトはどれも安定していて頼れるツールであることには間違いない。でも、Photoshopを始めて見たときの驚きや、ハイパーカードほどの衝撃はここ数年体験していない。これらのソフトはそれまでの常識を覆してしまう。

新しい価値観と、新しい表現、新しいコミュニケーションを実現させてしまうエネルギーがあった。 昔はコンピューターを使うことは「つくる」ことを意味していた。作る道具だった。でもこれだけアプリケーションがそろった今、コンピューターは受信機の役割が大きい。作る必要がないから、簡単に使えるようになったのだ。普及と比例して作る必要はどんどんなくなっていった。

でも、ソフトウェアは作ることが出来る。ちょっと好奇心をもてば、意外にも簡単に。そして驚くほど身近に大きな可能性が広がっている。私でも作れるのだから。

Photo by Hisashi Oshite on Unsplash

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