MIND HACKS

心理学認知心理学読書

なぜ影の表現を加えると奥行きを感じるのでしょう。影だから当たり前と、無視してしまうこともできますが。やはり、奥行きのないものに奥行きを感じてしまうという、認知の不思議さを見逃すわけにはいきません。

この本は脳の科学的な検証を元に、人間はどのように知覚を使って世界を認知しているのか、見るということはどういうことか。という認知の秘密を学ぶことができます。私が日々デザインに携わる仕事をしながら、疑問に思っていたことの原理を鮮やかに紹介してくれる一冊でした。

視野内にあるはず盲点に何故我々は気づかないのか。脳がどんな前提で視覚情報を処理し、自分をごまかしているのか。この本を読んで以来、私は「見る」ことについての捉え方が大きく変わりました。ユーザーインターフェイスデザイナーだけでなく、広くビジュアルデザイナーにもおすすめ。デザインを考える上で欠かせない、認知の科学的背景を知ることができます。

脳内には1000億の神経細胞があり、互いに電気信号をやりとりしている。脳の中はまさに「電気の嵐」が吹き荒れているとも言える。我々の思考、行動はすべてこの電気の嵐から生じている。

MIND HACKS

目は自動的に高速で動く。この動きを「サッケード」と呼ぶ。サッケードは1秒間に5回という速度で行われ、サッケードが行われる間には脳への視覚信号の流入が停止するのだが、通常我々がそれに気付く事はない。

MIND HACKS

物体や場所について想像する際には同時にそれが存在するべき空間を脳内に作り出すことになる。この空間は現実の空間とほぼ同様の制約を受ける。現実の空間ではあり得ないようなことを想像することも不可能ではない。しかし想像するには時間がかかる。

MIND HACKS

MIND HACKS

実験で知る脳と心のシステム

Tom Stafford (著), Matt Webb (著), 夏目 大 (翻訳)

屋根の日本史

建築歴史読書

人が自然の中で暮らしていくためには、自然との仕切りが必要になります。ゴットフリート・ゼンパーが19世紀に出版した「建築の四要素」にも、屋根・皮膜(壁)・炉・土台が取り上げられていますが、その中でももっとも重要なものが、屋根でではないでしょうか。屋根は夏の日差しを遮り、雨や雪から守ってくれる存在。壁と違ってプライバシーは確保できませんが、屋根は人間が生存していく上で必要最低限の自然との仕切りになるはずです。

この本は、建築の「屋根」に焦点を当てて、風土や文化の側面から日本の古建築の歴史について語っている一冊でした。縄文時代の竪穴式住居は屋根そのものが住居であるという点や、屋根は単に寒暑や雨露をしのぐためのものではなく、象徴性、身分の格差、芸術性といった多くの属性が形になったものである、という屋根に対する独自の考察です。

ということは、屋根は人の暮らしや思想が形となって現れたもので、屋根を見ればその土地の風土や文化、人々の営みなども見えてくる証として捉えることができます。さて今の日本の屋根から何が見出せるのでしょう。そんなことを新幹線の車窓に流れる住宅地を見ながら思ったのでした。

屋根の形は世界中を見渡しても実に様々であり、その国の気候風土や伝統、生活様式、また材料、技術などの違いによって、多くの制約を受けながらも今日に至っている。

屋根の日本史

日本の建物の歴史は縄文時代の竪穴住居にはじまると考えられるが、その最初の建物の形態を決定していたのは屋根だけだった。

屋根の日本史

屋根が、建築空間とその上空を仕切り、自然と人間の生理の矛盾を緩和するという本来の目的から離れたとき、屋根は単に寒暑や雨露をしのぐためのものから、象徴性、身分の格差、芸術性といった多くの属性を負う運命に変わっていった。

屋根の日本史

屋根の日本史

職人が案内する古建築の魅力

原田 多加司

Up&Up

CGミュージッククリップメタファーレトリック

2016年に発表されたColdplayのミュージッククリップ。一見、レトロな映像素材集のような雰囲気なのですが、よく見ると驚くべき組み合わせてイメージが合成されています。

地下鉄とウミガメ、ポップコーンと火口、魚群と戦地の子供達。次々と目の前に現れる、同化と対比のイメージ。上質なレトリックやメタファーのお手本のような、素晴らしいビジュアル。必見の映像です。

この映像を初めて見たとき、あまりの衝撃に言葉を失いました。映像の強さ、映像だからこそ表現しうることがあるというのを、まざまざと見せつけられたような気がしたのです。

メタファー思考

メタファーレトリック言語学読書

なぜ影の表現を加えると奥行きを感じるのでしょう。影だから当たり前と、無視してしまうこともできますが。やはり、奥行きのないものに奥行きを感じてしまうという、認知の不思議さを見逃すわけにはいきません。

この本は脳の科学的な検証を元に、人間はどのように知覚を使って世界を認知しているのか、見るということはどういうことか。という認知の秘密を学ぶことができます。私が日々デザインに携わる仕事をしながら、疑問に思っていたことの原理を鮮やかに紹介してくれる一冊でした。

視野内にあるはず盲点に何故我々は気づかないのか。脳がどんな前提で視覚情報を処理し、自分をごまかしているのか。この本を読んで以来、私は「見る」ことについての捉え方が大きく変わりました。ユーザーインターフェイスデザイナーだけでなく、広くビジュアルデザイナーにもおすすめ。デザインを考える上で欠かせない、認知の科学的背景を知ることができます。

抽象的な思考対象について何かを語ろうとしたり、思考を巡らせようとしたりするとき、メタファーの登場は必然となる。

メタファー思考

メタファーは、常に具象を耕し、抽象を生む。しかし、この抽象の実は、純然たる抽象ではない。具象の種から育った抽象である。だから、私たちは、言葉を感じることができる。

メタファー思考

存在のメタファーは、言語的思考の出発点をなすメタファーであるといってよい。あらゆる思考対象をこの世に存在する「もの」と見立てるメタファーである。この世に存在すると見立てられたものは、この世に「ある」と考えられる。

メタファー思考

瀬戸 賢一

11年ぶりの旅

エッセイ

2019年10月22日。macOS Catalinaに対応した「二十世紀ボヤージ 3.0.0」を公開しました。なんと自分でも驚きの11年ぶりアップデートとなりました。

この11年の間に、アプリバージョンやAppleTVバージョンをリリースはしてはいたのですが、macOS用のスクリーンセーバとしては本当に久しぶりの開発となりました。これだけ月日が経つと、生活も変化していくので、こうした自主制作に費やせる時間も限られてくるものです。

現に今回バージョンも、なんとか毎日15分ぐらいを捻出して地道に開発を進めました。でも、こうして飽きずに開発を続けられるのは、やはりテーマに興味があるからで、自分自身が純粋に面白いし、見てみたいと思っているからなんだとも思います。まあ、いつまでも同じことをやっているのは成長がないとも言えますが..。

最新バージョンはThree.jsとSwiftという開発環境。おそらく当分通用するプラットフォームになると思います。二十世紀というテーマに出会えたことに感謝しつつ、これからももうちょっと旅を続けていきたいと思います。

二十世紀に旅立つきっかけ

エッセイ

二十世紀ボヤージという作品を作り始めたのは、今から17年前、2002年も終わろうとしていた頃だったと思います。Mac OS X 10.2が発表され、OSでのテキスト描画がとても美しいことに感動して、これなら言葉を主役とした映像作品が作れるのではないか?という妄想のもと、勢いに任せてOSXプログラミングに挑戦を始めたのでした。

もちろんそれは簡単なことではありませんでした。情報も少なかったですし、そもそもプログラミングの能力もほとんどありませんでしたので、開発は難航しました。おぼろげに思い出されるのは、出張の際に新幹線の中でObjetive-Cという難解なプログラミング言語と格闘していたこと。時速200キロで進む移動の最中に、過去への旅を模索していたのも変な感じです。

もう一つのきっかけは、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件です。あの事件の全容や真相は知る由もないのですが、当時、漠然と持っていた欧米への憧れや、無意識に構築されていた西洋文化中心の世界像が、あの崩れるビルの映像とともに、心の中で瓦解していったこと思い出します。

そのショックや心の動揺を抑えようと、私は歴史を調べ始めました。そして歴史の断片を収集する日々が続いていたのです。そして教科書に載っている年表とは異なる、政治や文化が入り混じる、自分なりの年表が作られていきました。それは、私にとって全く新しい、もう一つの世界像の誕生でした。

健全の美とは

エッセイ

どんな作品であれ、自分以外の眼に触れることが前提であれば、どうしても作る際に肩に力が入ってしまいます。恥ずかしくない表現、要望に応えられている表現、場にふさわしい表現。そうしたものを目指して、自分の力を尽くすわけです。なんでこんな大変なことを始めてしまったんだろうと考えながら、過去の自分に挑戦を挑んで、品質と精度にこだわります。

先日、初めて肩の力を抜いて展示をすることができました。もちろん決して手を抜いたわけではありません。やりすぎないように、こだわりすぎないように、作品の面白さの「芯」の部分だけを大切にしたのです。それは作家の「作品」ということではなく、暮らしの中の一つの「提案」のような感覚でした。

奉仕の心は器に健全の美を添える。健全でなくば器は器たり得ないであろう。工藝の美は健康の美である。

柳宗悦 民藝四十年

最近読んだ一冊の中にこんな言葉がありました。健全の美。なんだかとても気持ちの良い言葉です。環境に対して無理のないもの、自然なもの。そうした一種の透明度を持った美のあり方。提供する側もされる側も、肩の力を抜いて「楽しいね」と思える美しい空間のあり方。そうしたデザインを今後も探ってみたいと思います。

見届ける – 小川洋子さんとの対話から

エッセイ

QONVERSATIONSというサイトにて、小説家の小川洋子さんにインタビューする機会をいただきました。小川さんの本は何冊か読ませていただいていて、その独特の世界観に魅了されていましたから、インタービューできることが決まってから、とても心が躍りました。それと同時に、小説家とはどんな人なんだろう、何を聞けば良いのだろう。作品の感想などを、著者に直接あれこれ言ってしまって良いのだろうか、という気持ちもわいたのでした。

一時間ほどのインタビューの時間は、あっという間に終わりました。小川さんの思考はとても映像的で、想像の中に、小説の世界が「存在」しているかのようでした。その存在する世界を、淡々と記述していく事で物語が生まれていくのです。物語とは作者が強引に作り出すものではなく、想像の世界に寄りそって見届ける事。なんて独特の創造なのだと、ただただ驚くばかりでした。ご自身も自分の執筆のスタイルに気づかれたのは最近だとおっしゃっていたのが、とても印象的でした。

芸術と科学の親和性を感じながら、謙虚に好奇心を具体化していく事が出来たなら、どんなに幸福な事だろう。
インタビューを終えた私は、新幹線の車窓を流れる街並の景色を見ながら、何度も何度も、見届けるという事、見届けられるという事、と想いを巡らせるのでした。

一生かけて見届けられるもの。自分の一生を見届けてくれる人。もし、誰かが自分の一生を見ていてくれて「よくやりましたね」と言ってくれるのなら、人生の意味も変わってくるはずです。おそらく神話や宗教といった、個人を超えた物語が生まれたのは、こうした思いの重なりからなのではないかと思います。

でも、そうした「見届け」が出来るのは究極的には自分自身だけ、なのかもしれません。なぜなら自分の人生に絶えず寄り添えるのは自分自身に他ならないからです。

お菓子と発明の夜更かし

エッセイ

おそらく人生で初めてのインフルエンザに感染する。最初の夜は高熱にうなされて夜も眠れず。割れんばかりの頭痛を耐え忍ぶ。ただ耐えるばかりでは悔しいので、最近読んだ脳の本を思い出し、脳で繰り広げられているだろうはげしい営みを思い浮かべながら痛みに耐えるのであった。

そのためか、その夜見た夢は、これまでにない抽象的な夢だった。真っ白な空間に大きな黒い液体が浮かんでいて、形を自在に変えながらいろいろな方向へ流れては戻ってくる。そんな現象のような夢。

二日目の夜。熱も下がってきた私は寝室で眠れず天井を見つめていた。一日中寝るなんてめったにないことだから、身体が拒否反応をしたのかもしれない。ふと脇で寝ているはずの娘の方に目をやると、意外にも暗闇の中で娘と目が合った。どうやら彼女も眠れないようだ。

実はこのインフルエンザは、そもそも彼女の学校で流行ったもので、彼女も彼女の弟も、私が倒れる数日前に寝込んでいた。私はそのウィルスを防ぎきれなかったという訳である。

眠れないね、と、二人で隣の部屋に行き、暖房をつけ、即席のコーンスープと食パンをかじった。それとついでに、彼女が苦手だった粉薬の飲み方を練習した。それで、眠くなるにはどうしたら良いかと考えて、本を数冊読もうという事になる。私は近くにあった「発明」という本を選び、彼女は「パリのお菓子」という本を手にした。

私はせっかくなので、火とか鉄とか、車輪とかの発明がいかに人間に大きな影響を与えたかを、彼女に伝えようとしたのだが、結局はどのお菓子が美味しそうかという話に終始した。本の中には夢のようなスイーツの世界が展開していた。色とりどりのマカロンや、ケーキ、エッフェル塔のチョコレート。昨年家族で行ったパリが鮮やかによみがえる。

まあ、自然に眠くなる本としてはパリのお菓子の方が正解だった。夢に車輪が出てきてもそれほど楽しくはないだろうし(私は楽しいが)、ましてや黒い液体なんか出てきたら悪夢だな。と思いながら数冊の本を読んで、二人で寝室に戻る。娘は何事もなかったように眠りについた。さて、かくゆう私はまだ眠れず、こうしてこの文章を書いている訳なのです。

追記。この文章を書き終えた頃、弟が起きてきた…。こうして夜はもう少し続くのでした。

フラクタルのかけら

エッセイ

すべてのものを分解していくと、分子や原子となり、それをまた分解していくと素粒子に行き着く。現代の科学で捉えられる最小の大きさ。あまりの小ささに、素粒子ニュートリノは、毎秒何十兆個も私たちの体を通り抜けているのだとか。しかもその数は膨大で、宇宙はニュートリノで満たされているらしい。もはやそれは大きさではなく、概念といって良いのかもしれない。

もし宇宙が素粒子で満たされているとして、私も、空も、水も、すべて素粒子で出来ていると思うと、本当に不思議な気持ちになる。元々の材料が一緒なのに、異なる物質を構成する。そこにはいきいきと動き回る有機物もあれば、固く動かない無機物もある。誰がこの差分を作り出したのか、なぜこのような境界線が必要なのか。もっともっと不思議なのは、その素粒子で出来た人間という生命が、素粒子を発見し、その謎を解こうとしている事だ。

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